「ちむどんどん」大城房子との因縁とは?賢三の叔母説を考察

ちむどんどん
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NHKの朝ドラ「ちむどんどん」でヒロイン・暢子が雇ってもらえることになった西洋料理店「アッラ・フォンターナ」オーナーの大城房子。

公式HPの登場人物紹介には初めからこう書かれていました。

実は暢子の家族とは、深い因縁も秘めている。

そして、2022年5月23日の放送で大城房子本人も『ちょっと、、、因縁があるのよ』と言っていましたね。
果たして、大城房子と比嘉家との因縁とはなんなんでしょう。
今回は、
「ちむどんどん」大城房子が暢子に厳しいのは比嘉家との因縁があり辞めさせるため?
「ちむどんどん」大城房子と比嘉家との因縁とは?
についてお伝えします。
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「ちむどんどん」大城房子が暢子に厳しいのは比嘉家との因縁があり辞めさせるため?

「ちむどんどん」で暢子が働くことになった「アッラフォンターナ」のオーナーは大城房子は暢子にとっても厳しい。

厳しいのはオーナーだけでなく厨房の先輩たちもですが…、厳しいというか冷たい?

朝8時から夜23時まで、毎日、嵐のような忙しさの厨房で初出勤から10連勤をさせます。

料理長・二ツ橋(高嶋政伸)にはなにもアドバイスをしないように指示する。

二ツ橋も『まるで辞めさせたいような・・・・』と言っていましたね。

 

話題になっていた、暢子が髪の毛を結ばないことを注意しないのもやはり料理に髪の毛がはいって首を言い渡すことを想定しているのでしょうか…

暢子の髪の毛が結んでいないことについての記事はこちら

料理長の二ツ橋についての記事はこちら

 

大城房子の暢子を自主的に辞めたいと思うような、露骨な厳しさ(もはや嫌がらせのような)に対しては、なぜ雇ったの!?という声も・・・

 

確かに…。

比嘉家と因縁があり、辞めさせたいのであれば初めから雇わなければよかったのに…と思いますよね。

大城房子はテストで暢子の料理を食べて合格させ、暢子は「アッラ・フォンターナ」で働くことになりました。

テストで暢子の料理を食べた時の大城房子は的確な判断ができるようでした。

大城房子はちむどんどん公式HPで以下のように紹介されています。

戦前からのたたき上げの料理人。

「アッラ・フォンターナ」では厨房で料理をしていませんが、戦前からのたたき上げの料理人であり、料理と食文化には圧倒的な知識をもっているとのことなので、暢子の料理を食べて自分の舌に嘘をつくことはできなかったということなのでしょうね。

 

また、暢子が鶴見の沖縄県人会の会長・平良三郎(片岡鶴太郎)からの紹介だったことも暢子を雇ったきっかけでした。

「大城」は比嘉、金城に続く沖縄県に多い苗字です。

暢子もオーナーの名前を聞いて、すぐに「うちなーんちゅ(沖縄の生まれ)」と言っていました。

平良三郎との関係は今のところわかっていませんが、共に苦労をした沖縄二世同士…というところでしょうか。

大城房子は「どこの出身とか、誰の紹介とか一切関係ない!」と一蹴していましたので、暢子の料理の腕を認めての採用となったはずです。

しかし、未経験の暢子が「アッラ・フォンターナ」で採用のテストをするという機会を与えてもらったのは平良三郎さんのおかげでしょう。

本来であればテストすらさせてもらえず門前払いだと思います。

 

暢子の料理の腕や味覚の良さを判断して、合格させましたがそれでも大城房子は暢子をお店から「因縁がある」ため辞めさせたいようです。

次はこの「因縁」について考察をしていきます。

「ちむどんどん」大城房子と比嘉家との因縁とは?

「ちむどんどん」大城房子と比嘉家との因縁とはなんなのでしょうか?

ここで一番に思い浮かぶことは大城房子は賢三の叔ではないか?ということ。

暢子の父・賢三(大森南朋)が亡くなった時、多くの借金が残る比嘉家を心配し、「こどもを1人引き取り、面倒見てもいい」と言ってきた東京にいる賢三の叔母です。

 

親戚・比嘉賢吉による賢三の叔母情報

比嘉家の借金の保証人にもなっている親戚の比嘉賢吉(石丸謙二郎)によると賢三の叔母の情報はこちら

  • 気難しい。
  • 金の亡者。
  • 親の代に本土に移住。(沖縄二世)
  • 比嘉家とは親戚づきあいをしていない。

この人物像からすると大城房子に当てはまりそうです。

あまゆの常連客が大城房子は金の亡者、沖縄二世と言っていましたね。

 

賢三が亡くなったことを人づてに聞いたという賢三の叔母

賢三の叔母は賢三が亡くなったということは人づてに聞いたということでしたね。

若い時に本土で働いており、平良夫妻も比嘉賢三という名前を聞き知っている様子でしたので、賢三は鶴見で働いていたのでしょう。

沖縄県人会会長の平良三郎は最初に暢子に会った時にやんばる村に知り合いがいると言っていました。

平良三郎がやんばる村の知り合いから賢三の死を聞き、大城房子に伝えたのでは?と予想ができますね。

その上で、独り身(と想定)の大城房子に借金で大変な比嘉家を助ける意味でも子どもを1人引き取ったらどうだと提案したのかもしれません。

 

賢三の形見の包丁

暢子が上京する日に母・優子から渡された賢三の名前入りの包丁。

暢子は「アッラ・フォンターナ」でも賢三の包丁を使っており、大城房子はその包丁を意味ありげに見つめていましたよね。

 

以前、父・賢三は包丁のことを暢子に話していました。

「昔、世話になった人がくれた。お父ちゃんの宝物さ」

世話になった人というのは、料理人だった大城房子?

だとしたら、父・賢三も大城房子から料理を学んだのでしょうか。

 

大城房子が賢三の叔母だった場合、比嘉家との因縁とは

平良三郎が大城房子に送った暢子の紹介状には、

「比嘉さん(暢子)は亡くなった比嘉賢三君の娘です。

今更かとは思いましたがこれも何かの縁かと頼らせてもらいました」

と書かれていました。

暢子が比嘉家を離れて、東京の叔母に引きとられることは決まっていましたが、出発する当日バスを止め、やっぱり行かないことになりましたよね。

 

脚注では「みんなで幸せになります!」と比嘉家の美しい家族愛が描かれており、当然、引き取る予定だった東京の叔母側のことは視聴者には知らされていません。

女の子を沖縄から引き取るということで、引き取る側は前もって色々な準備をしてきたことが予想されます。

 

それが来る予定だった当日になって「やはり結構です。」となったら、、、

(優子のことなのでもっっと丁重にお断りしたと思いますが)

楽しみにまっていた引き取り側の気持ちを考えると切ない気持ちにもなりますね。

賢三の叔母は暢子を引き取ることができず、悲しみに暮れていたのかもしれません。

手紙の「今更」という平良三郎さんの言葉は、あの時、来なかったのに…今更ということなのでしょうか。

暢子のことを引き取る予定った東京に住む賢三の叔母が大城房子であれば、「アッラ・フォンターナ」に暢子が働きたいと現れたことが大城房子にとって「因縁」ということになったのでしょう。

まとめ

NHKの朝ドラ『ちむどんどん』の西洋料理店「アッラ・フォンターナ」のオーナー・大城房子と比嘉家の因縁について考察をしてました。

世間の声でも大城房子は暢子を引き取る予定だった賢三の叔母では?という声がとても多かったので、これまでの放送からの情報を元に検証をしてみましたが、ほぼ確定な感じですね。

まだまだ続く嫌がらせともとれる大城房子の暢子への試練。

頑張れ!!暢子!!という気持ちで観させていただきます。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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※本ページの情報は2022年5月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

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