春・夏あわせて甲子園に8回出場している東京の強豪校・東海大菅生高校野球部。
監督の若林弘泰さんにょる部員への厳しい指導が報じられましたね。
若林弘泰監督は元プロ野球選手で、著書も2冊あります。
結婚してお子さんもいるという情報もありましたが、かなり厳しく育てられたのでしょうか・・・
今回は、
についてお伝えします。
若林弘泰の息子は野球選手?
若林弘泰さんには息子さんが2人います。
現在、2人とも野球選手ではないようです。
長男は野球をやっていたという情報がありませんが、次男は野球をやってました。
次男の名前は若林泰生さん。
小学校4年生に少年野球を始めました。
少年野球の時のコーチは父・若林弘泰さんで「他の子より厳しかった」とのことです。
甲子園を目指し、父・若林弘泰さんが監督である東海大菅生に進学しますが、進学後はマネジャーの打診を受け、悩んだ末に「支える役割でベンチに入れるなら」と野球部マネージャーとなりました。
甲子園には出場していませんが、高校3年生の地区予選(西東京大会)では記録員としてベンチ入りしていました。
次男の若林泰生さんは2012年の時、東海大菅生の3年生で記録員をしていたということなので、1994年生まれ、もしくは1995年生まれです。
現在、28歳か29歳だと思われます。
高校卒業後については情報がなかったので、高校での野球部マネージャー後はやめらえている可能性が高いですね。
現在、若林弘泰さんは奥様とあきる野市の東海大菅生高校の近くに住んでいるそうなので、息子さんは2人とも実家からは離れていると思われます。
若林弘泰の著書は「叱ってのばす」!?
若林弘泰さんは2冊の著書があります。
そのっ1つが2021年に発売された「叱って伸ばす」
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なるほど…という感じがしなくもないですが、2021年の選抜に東海大学菅生が出場した時の監督紹介では…
「選手に優しい言葉もかけないし 好かれたいと思った事などない」
「勝利は全てではないが勝たないと 過程が報われない!目標は優勝」
このようにインタビュー(?)に答えられていたようです。
若林弘泰さんの著者は他にも「高校野球”プロ魂”」もあります!
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今回の報道に繋がっているかはわかりませんが、勝利にこだわるための厳しい指導方針であったことは間違いないようです。
若林弘泰の経歴は?
若林弘泰の経歴は?
小学校~大学時代
若林弘泰さんは小学3年生の時に「永田オックス」で野球を始めます。
現・読売ジャイアンツの監督である読原辰徳さんに憧れ高校は東海大相模高校に進学します。
大学は東海大学に進学し、大学2年生の時に首都春季リーグにて防御率0.00で最優秀投手を獲得していますが、その後肘の手術をし、大学3年生の時は活躍ができませんでした。
大学卒業後
若林弘泰さんは大学で結果が残せずプロ入りは叶わず、日立製作所に入社し3年間プレーしています。
そして1991年ドラフト4位で中日ドラゴンズに指名され入団しました。
プロ入り最初の3年間は大学の時の肘の手術の影響で右肩痛に悩まされます。
思うような活躍ができず、ようやく1985年に中継ぎ選手として17試合に登板しますが防御率8点台と奮いませんでした。
1995年の時点で若林弘泰さんは29歳、故障の影響もなくなった時には若手への世代交代が進み、1997年に現役を引退しました。
現役引退後
若林弘泰さんはプロ引退後、5年間佐川急便などに勤務されていますが、野球の指導者への思いが強まり、2003年(当時37歳)に名城大学に在学し教員免許を取得します。
2007年(当時41歳)に東海大学菅生高校の社会科教諭として着任し、2009年4月(当時43歳)に野球部監督に就任しました。
若林弘泰さんが就任後すぐには結果がでませんでしたが、徐々に力を付けていきます。
若林弘泰さんが監督就任後の東海大学菅生の成績はこちら。
2014年 秋季東京都高等学校野球大会優勝
2015年 選抜(春の甲子園)出場
2017年 夏の甲子園出場 ベスト4
2021年 選抜(春の甲子園)出場 ベスト8
2021年 夏の甲子園出場 1回戦敗退
まとめ
若林弘泰さんの息子さんのこと、著書、経歴について調べてみました。
厳しい指導者である若林弘泰さんの今後の進退についても注視していきたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。