土佐の香我美町(現在は香南市)の漁師だった野村長平をご存知でしょうか?
1785年の1月、船長として御蔵を運搬した帰りにを暴風に遭い、舵や帆を失って、そのまま漂流船になってしまいました。
黒潮に乗って、12日後伊豆諸島の黒島に漂着しました。
無人島だった鳥島でなんとか生き延びて12年後に奇跡的に帰還を果たした衝撃の人物です。
今回は、
についてお伝えします。
野村長平のその後は?子孫はいる?
野村長平は12年間も壮絶な無人島生活をして、は1798年(寛政10年)1月19日に土佐へ帰還しました。
野村長平が帰還したその後や子孫にについて調べてみました。
野村長平が帰還した時、地元では長平の13回忌が営まれていた最中だったそうです。
12年もの間、消息が不明だったので、亡くなったと思われていたのも当然のこと。
野村長平は37歳になっていました。
帰還後は「無人島」(ぶにんのしま)というあだ名をつけられたそうですが、土佐藩からは野村姓を名乗ることを許されました。
帰還した野村長平良は各地で漂流の体験談を語り生計を立てていました。
妻子にも恵まれ1821年に60歳で没しました。
子どもにも恵まれたとのことでしたが野村長平の子孫については調べても情報がありませんでした。
1975年、野村長平の12年に及ぶ無人島生活の後に故郷へ帰還したという実話を基に『漂流』と題され小説化されました。(著者・吉村昭)
そして、1981年北大路欣也さん主演で映画にもなりました。
地元では「無人島長平」として親しまれおり、生還200年の1998年に現在の香我美駅近くに長平の像を設置されました。
没後200年にあたる2021年には色を塗り直すなどして修復も行われました。
野村長平の墓と像(銅像ではなくFRP製)。
1785(天明5)年、嵐に遭い無人島・鳥島に漂着。仲間は全員死亡。12年に及ぶ無人島生活を経て、自作の船で八丈島に生還した。
吉村昭が小説『漂流』に描き、映画化もされた。墓石には名前の上に「無人島」と刻まれている。2022年、旧香我美町(香南市)。 pic.twitter.com/qxr763TLcg
— 路上にて (@OnTheRoadPic) September 24, 2022
野村長平良が漂流した鳥島ってどんな島?
野村長平良が漂流した鳥島についても調べてみました。
鳥島は伊豆諸島の島であり、島全体が天然保護地区に指定されています。
特別天然記念物であるアホウドリの生息地としても有名です。
野村長平も鳥島で過ごしている間はアホウドリが大事な食糧になっていたそうです。
(火を使うことはできなかったので、生のままもしくは乾燥させて保存もしていた)
当時アホウドリは人を怖がらなかったため、簡単に捕まえることができたそうです。
江戸時代、鳥島には多くの船が漂着しており、「遭難船が引き寄せられる恐怖の島!?」とも言われることまりますが、その理由は冬の季節風「大西風」と黒潮の影響とされています。
野村長平が漂流したから3年後、さらにその2年後にも船が漂着していますが、いずれも1月。
また、1841年に漂流したジョン万次郎が漂着したのも1月。
秋から冬にかけての漂着がほとんどだったようです。
1887年から鳥島では「アホウドリ捕獲」が開始されましたが、鳥島は活発な活動をしている活火山であり、相次ぐ噴火により現在は無人島となっています。
まとめ
12年間鳥島での無人島生活を送り奇跡の生還を果たした野村長平について調べてみました。
野村長平の絶対帰還するという不屈の精神には学ぶべきところも多いですね。
諦めずに何事も継続する。
そんな逞しい野村長平は没後も香南市では大切にされているようですね。
11月2日(水)の「世界の何だコレ!?ミステリー」では壮絶な生還劇が再現ドラマで紹介されるそうです。
ぜひチェックしてみたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。