死亡者58人、行方不明者5人をだした戦後最悪の火山災害と言われる御嶽山噴火。
2014年9月27日に発生した長野県と岐阜県の県境に位置する御嶽山の火山噴火です。
御嶽山噴火による犠牲者の死因はほとんど「噴石」が体に当たったことによるものでした。
火口から最長約1キロ離れた場所まで「噴石」は吹き飛んでいたのです。
御嶽山噴火は休日のお昼ごろの時間帯に発生し、多くの登山客が被害にあいました。
御嶽山噴火発生後に火口から約1.1kmほどにある山荘の支配人が噴石から逃げてきた約50名の登山客を誘導し、全員無事に次の避難場所まで下山をさせました。
その山荘の支配人こそ小寺祐介さんです。
当時、34歳だった小寺祐介さんも極限の状態だったと想像できる御嶽山噴火。
小寺祐介さんの経歴や現在について調べてみました。
今回は、
についてお伝えします。
小寺祐介さんが支配人をしている山荘はどこ?
小寺祐介さんが支配人をしている山荘は二ノ池本館(現在の二ノ池山荘)です。
火口から1.1キロメートルほど北に位置します。
日本最高所の湖・二ノ池に位置する山荘で、この山荘から小寺祐介さんは徒歩で20分ほど下ったところに立つ石室山荘まで約50名の登山客を誘導し、下山しました。
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噴火が発生した時は山荘の前の二ノ池に噴石がバシャバシャと落ち、火山灰から逃げてきた登山客が山荘に逃げ込んできました。
小寺祐介さんは屋根が二重になっている部屋に逃げてきた登山客を集め、山荘に備えてあったヘルメットを配りました。
噴石が山荘のトイレを直撃し、このままここにいると危険と判断した小寺祐介さんは全員を連れて下山することを決断しました。
小寺祐介さんの経歴
山荘の支配人である小寺祐介さんは火山の専門家でも救助のプロでもありません。
小寺祐介さんは石川県金沢市出身です。
高校卒業後は九州の大学に進学しますが、大学2年生の夏から御嶽山の山荘で住み込みのアルバイトを始め、毎夏、御嶽山で働いていました。
バックパッカーとして海外を周っていたこともあり、アフガニスタンなど多くの国を地域を訪れています。
御嶽山噴火があった時は34歳だった小寺祐介さんがリーダーシップを強く発揮し、登山客を誘導できたのは海外をバックパックで旅した経験と御嶽山のことを熟知していることから、冷静な判断力と行動力があったからでしょう。
小寺祐介さんの現在は?
小寺祐介さんは二ノ池本館の支配人をしていましたが、2019年7月から二ノ池山荘の支配人として営業を再開しています。
「噴火の教訓を伝え、二度と犠牲者を出さない」という思いを強くもち、嶽山噴火後は二ノ池合同会社に所属し、御嶽山の復興に尽力しています。
現在は43歳の年齢になられています。
まとめ
御嶽山噴火で登山客を救った山荘の支配人・小寺祐介さんの二ノ池山荘の場所や小寺祐介さんの経歴や現在についてお伝えしました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。