ヤーラ殺人事件の犯人逮捕の経緯は?動機や判決についても | hanaブログ

ヤーラ殺人事件の犯人逮捕の経緯は?動機や判決についても

ミステリー
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イタリアで13歳の将来有望な新体操少女が謎の死を遂げたヤーラ殺人事件。

当時、ヤーラの遺体には犯人と思われる血痕が残されていたため、すぐに犯人は逮捕されるであろうと思われていたのですが、事件発覚から3年以上の月日が経ちようやく犯人が逮捕されました。

ヤーラ殺人事件の犯人逮捕に至るままでの経緯や犯人の犯行動機や判決についてお伝えします。

 

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ヤーラ殺人事件の概要と犯人逮捕に至るまでの経緯

ヤーラ殺人事件の概要と犯人逮捕にた至るまでお経緯についてお伝えします。

被害者ピッコラ・ヤーラ

ヤーラ殺人事件の被害者はピッコラ・ヤーラ

当時13歳ながら新体操の選手で将来を有望視されていました。

2010年11月26日、いつものように新体操の練習を終えて自宅帰るはずのヤーラが帰宅せず、地元警察や住民たちがヤーラを探し始めました。

ヤーラが住んでいたのはイタリアのベルガモです。

ミラノの隣町ですが、田舎町になるのですぐに見つかるだろうと思われていたのですが、ヤーラが変わり果てた姿で見つかったのは行方不明になってから3ケ月後のことでした。

町外れの空き家で全身を何箇所も刺された遺体の状態で見つかったのです。

 

誤認逮捕

イタリアではヤーラ殺人事件はトップニュースとして伝えられ、大きな注目を集めました。

警察も犯人の早期発見、逮捕を目指し捜査に乗り出しました。

そして、事件発生直後にモロッコ人の男が逮捕され、事件の早期解決を期待されましたが、その後の捜査の中で逮捕されたモロッコ人の男と事件との関連性が見当たらず彼は釈放されます。

誤認逮捕だったのです。

 

DNA鑑定

ヤーラの衣服からみつかった血痕が犯人に繋がる糸口になるとし、警察はベルガモ県の町の住民全員にDNA鑑定の協力を依頼しました。

しかしながら、ベルガモ県の町の住人からは一致するDNAが見つかりませんでした。

さらに範囲を広げたDNA鑑定が行われ、延べ1万8千人のDNA鑑定を実施します。

この規模のDNA鑑定はイタリアでも前例をみない規模だったそうです。

そして事件から約1年たった2011年10月21日、ヤーラの衣服についた血痕と似た特徴を持つ人物い辿り着きました。

 

浮上した人物は事件の11年前に亡くなっていた

ヤーラの衣服についていた血痕と似た特徴を持つ人物から警察はその血縁者までDNA鑑定を広げていきます。

そこで浮上したのがその男の叔父であるジュゼッペ・グエリノーニという人物でした。

しかし、ジュゼッペ・グエリノーニは事件の11年前に亡くなっており、犯行は不可能。

ジュゼッペ・グエリノーニのDNAは亡くなる前に彼が貼った切手の唾液から採取されたものでした。

このDNA鑑定の結果かジュゼッペ・グエリノーニに近い血縁者である可能性が高いとしていたが、彼の子どもは既にDNA鑑定が済んでいてDNAの完全一致はしませんでした。

愛人と隠し子

捜査を進めていくと事件の11年前に亡くなっていたジュゼッペ・グエリノーニには愛人がいて隠し子がいたことがわかりました。

ジュゼッペ・グエリノーニは結婚していましたが、愛人がおりその愛人が双子を出産していたのです。

ジュゼッペ・グエリノーニの隠し子の存在が明らかになります。

その双子の子どもの一方・マッシモ・ボッセッティのDNAが、ヤーラの衣服についていた血痕のDNAと一致したのです。

 

犯人逮捕

事件発生から3年半の月日が経ち、当時44歳の土木工事作業員のマッシモ・ボッセッティが逮捕されました。

警察の地道な捜査と住民の協力の元、真犯人に辿り着きました。

ヤーラ殺人事件!犯人の犯行動機と判決は?

ヤーラ殺人事件の犯人・マッシモ・ボッセッティの犯行動機は暴行を目的とした誘拐でした。

しかし、ヤーラが必死の抵抗をしたことで殺害をするしかないと決断してしまいました。

判決ではヤーラが誘拐された日に現場近くの防犯カメラにマッシモ・ボッセッティのトラックが7回も映っていたこと、ヤーラが着ていた衣服に付着した繊維が男の車のシート素材と同じだということも明らかになり裁判で終身刑の判決が言い渡されました。

 

まとめ

ヤーラ殺人事件について犯人逮捕に至るまでの経緯や犯行動機、判決についてお伝えしました。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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