1973年に誤った内容の噂により豊川信用金庫に対する取り付け騒ぎが発生し、約14億円の預金が解約される大騒動となった豊川信用金庫事件。
発端は豊川信用金庫に内定が決まっていた女子高生が友人との雑談の中で生まれたデマでした。
街の至るところで豊川信用金庫の噂で持ち切りとなり
信じ込んだ人たちによって約14億円もの預金が一気に引き出されてしまいました。
全国信用金庫連合会、全国信用金庫協会連名の常務理事による預金者への説得活動や窓口での対応など様々な対策により騒動は沈静化しました。
しかし、豊川信用金庫事件の発端となったのは内定が決まっていた女子高生の噂話でした。
今回は、
についてお伝えします。
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生の噂話とは?
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生の噂話についてお伝えします。
1973年12月。
3月に高校を卒業し、豊川信用金庫に就職が決まっていた女子高生は友人2人から
「信用金庫は危ないよ」
とからかわれます。
そもそもこの「信用金庫は危ない」というのは経営状態ではなく「強盗が入ることがあるので危ない」という意味でした。
もちろんそれも冗談でしたが、内定が決まっていた女子高生は真に受け、親戚に「信用金庫は危ないのか」と聞かれ信用金庫イコール豊川信用金庫判断し、本店近くの親戚に電話で問い合わせをします。
ここから「豊川信用金庫は危ない」とデマが広がっていき、大騒動に発展していきました。
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生のその後は?
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生はその後、処分されたのか、内定が決まっていたとのことこですが、実際に入庫したのかについてお伝えします。
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生の処分は?
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生は警察により特定されますが、その後、罪に問われることはありません。
豊川信用金庫の取り付け騒ぎが発生した当初、信用毀損業務妨害(悪意のある何者かが豊川信用金庫の信用を傷つけるために故意に経営危機の噂を流した)があるとものと見て警察は捜査を開始しました。
警察は伝播ルートを一人づつ調べて「誰からきいたのか」を地道に積み上げていって発端となった女子高生に辿りつきました。
女子高生同士の噂話に過ぎず、過失はなし、意図して信用金庫を陥れるためにやったわけではないことも判明しました。
結果は起こってしまったことは重大でしたが、信用毀損業務妨害罪には問われないと結論づけました。
豊川信用金庫事件の発端となった女子高生はその後、入庫した?
女子高生は豊川信用金庫に内定が決まっており、1974年4月に入庫する予定でしたがその後、実際に入庫したかどうかはわかっていません。
豊川信用金庫事件は女子高生の噂話から取り付け騒ぎに発展したことは警察から発表され、メディアでも大きく取り上げられました。
豊川市内ではすぐに人物の特定もできたでしょうから、事件の発端となった女子高生に罪はなかったとしても親戚一同注目を浴びたことは予想できます。
内定辞退されたことも考えられますね。
まとめ
豊川信用金庫事件で発端となった女子高生について噂話やその後の処分、入庫したかどうかについてお伝えしました。
本日は最後までお読みいただきありがとうございました。