1963年10月~1964年1月にかけて起きた戦後最悪の連続殺人事件とも言われる西口彰事件。
重要指名被疑者として特別手配中だった西口彰は1964年1月2日に弁護士を装い、次のターゲットとなる熊本の住職宅を訪れたところ、住職の娘・るり子さんに気づかれ翌日逮捕に至りました。
るり子さんは当時小学5年生!
10歳の少女でした。
事件から60年経っており、当時小学5年生の少女だったるり子さんは70歳くらいになっている年齢です。
今回は、
- 西口彰事件の少女・るり子の現在は?
- 少女・るり子のその後
- 西口彰の子孫は?
についてお伝えします。
西口彰事件の少女・るり子の現在は?
西口彰事件で犯人逮捕のきっかけとなった少女・るり子さんは現在どうされているのでしょう。
現在、るり子さんは70~71歳になる年齢です。
るり子さんの父親は熊本県玉名市の立願寺の住職だったため、ご実家は玉名市です。
10年ほど前にこの西口彰事件を取り上げたテレビ番組でるり子さんの姉・愛子さんがテレビ出演されていましたが、るり子さん自身は登場されませんでした。
事件後はかなり注目を浴び、意図せず有名人になってしまったので、時間が経った今も静かに暮らしたいと思っていらっしゃるのかもしれません。
少女・るりこのその後
西口彰事件で犯人逮捕のきっかけとなった少女・るり子さんのその後についてお伝えします。
るり子さんが犯人と気づき、逮捕に至った経緯
西口彰事件では、1964年1月2日に住職の父親・古川泰龍さんの元に弁護士と偽り、犯人である西口彰が偽名を使って訪れます。
るり子さんは特別手配犯である「西口彰」と似た名前の同級生がいたため通学中に指名手配書のポスター写真をよくみてました。
そこで、犯人と気づいたるり子さんがそのこと伝えると、始めは子ども言うことに耳を傾けなかった両親も顔のあざの一致や法律の知識が乏しいことに怪しさを感じ、警察に連絡。
しかし、連続殺人犯の逮捕であることから警察も人員を集める時間を要し、住職の自宅に1泊させ、翌日、逮捕に至りました。
事件、その後
西口逮捕後、警察庁長官が「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国13万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」とコメントを発表しており、小学5年生の少女・るり子さんが犯人を見抜いたことは全国的にも大きなニュースとなり、注目を集めました。
事件後、住職・古川泰龍さんは獄中の西口彰に宗教関係の差し入れをし、死刑確定後も文通をし、西口の家族の支援も申し出ていました。
西口は次第に自分の罪を悔い、るり子さんへも「よかったら文通をしてほしい」という内容の手紙を送っています。
るり子さんは西口を救おうとする父親を近くでみており、西口の息子のことを励まし文通をしていたそうです。
西口がるり子さんと文通をしたいと手紙を送ったのは、謝罪をしたかったり、息子の様子を知りたいということだったのかもしれません。
その後、るり子さんが西口に手紙を返したという情報はみつかっていないので、文通するには至らなかったようです。
西口が自宅に訪れ、逮捕までの一夜は住職の古川さんも少女だったるり子さんも一生忘れられないほどの緊迫したものだったことは想像ができますよね。
それでも宗教家として西口を救おうとしてコンタクトを取り続けた父・古川さんもそんな父親をみて西口の息子を励ましていたるり子さんにも頭が下がります。
西口彰の子孫は?
西口彰の妻と3人の子どもがいましたが、西口は出所と服役を繰り返し愛人もいたため、子どもと一緒に生活をしていたことはほとんどなかったようです。
しかし、西口彰の逮捕後は殺人犯の家族というレッテルを張られ生活にも苦しみ、経済的にも困窮した状況に陥りました。
そんな、西口の家族の生活面でも古川さんが支えました。
高校生という多感な時期にあった息子は一時、道を外してしまいそうになりますが、古川さんやるり子さんとの文通のやりとり、獄中から西口も「自分のようになるな」と何通も手紙を送り、更生をしたそうです。
その後、息子は結婚し、子どもも生まれました。
西口の孫にあたります。
息子は死刑確定後の1669年に生まれたばかりの子ども(西口からみると孫)を連れて西口に面会にいっています。
西口の孫は1969年に生まれているとすると、現在55歳前後になりますね。
まとめ
西口彰事件の逮捕きっかけとなった少女・るり子さんの現在や、事件の経緯、事件の後のるり子さんについてお伝えしました。
また、西口彰の子孫についてもお伝えしました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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