下半身がつながった結合双生児としてベトナムで産まれた兄弟として兄のグエン・ベトさんと弟のグエン・ドクさん。
日本でも80年代から90年代にベトちゃんドクちゃんという愛称で親しまれました。
1988年に分離手術が行われ、日本赤十字も支援し日本からも医師団が派遣されました。
世界中が注目した大手術は成功したのですが、その後のベトちゃんドクちゃんはどうなっていたのでしょうか。
今回は、
についてお伝えします。
ベトちゃんドクちゃんのその後は?
ベトちゃんドクちゃんの手術のその後についてお伝えします。
兄:グエン・ベト
手術後、ベトさんは重い脳障害を抱え植物状態でしたが、分離手術が行われたツーズー産婦人科病院の平和村の支援を受けながら、手術後の19年間を生き抜きました。
ベトさんは2007年10月6日、腎不全と肺炎の併発により死去されました。
26歳の年齢でした。
弟:グエン・ドク
ドクさんは分離手術を受けたその後、障がい児学校から中学校に入学します。
中学校は中退しましたが、職業学校でプログラミングを習得し、ツーズー産婦人科病院のスタッフとなりました。
また、ボランティア活動もしており、その際知り合った女性と2006年に結婚しました。
結婚後は兄のベトさんの介護も夫婦でしていたそうです。
2009年10月25日、ドクさんは男女の双子を授かりました。
男の子は富士山からし、「グエン・フー・シー(Nguyen Phu Si)」、女の子は桜から命名し、「グエン・アイン・ダオ(Nguyen Anh Dao)」と名付けられました。
現在は、旅行会社「サザンブリーズ株式会社」の社外執行役員を務め平和活動も行っています。
ドクさんは日本へも何度も訪れています。
2012年の来日は東日本大震災で被災した障害者たちと交流していますし、2017年には広島国際大学の客員教授に就任していました。
また、ドクさんは日本での新型コロナウィルス感染者が増えていたことを受け、2020年7月下旬に日本ベトナム友好協会大阪府連合会・同協会京都支部を通じ、不織布マスク1万7500枚を寄付されています。
マスクは府内の日本語学校や高齢者施設、病院などに無償配布されたそうです。
日本との繋がりを今でも深く感じていただいているのですね。
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ベトちゃんドクちゃんが結合双生児となった原因は?
ベトちゃんドクちゃんが結合双生児として生まれてきた原因はベトナム戦争時に米軍が大量に散布した枯葉剤の被害とされています。
ベトちゃんドクちゃんの母親は終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていました。
その時、枯葉剤がまかれた井戸で水を飲みました。
米軍がまいた枯葉剤にはジベンゾ-パラ-ダイオキシン類が含まれており、散布地域では出産異常が増えていました。
結合双生児は2000万分娩に1例ほどの発生確率と言われていますが、ベトナムでは25年間に30例を超すと言われています。
まとめ
ベトちゃんドクちゃんの分離手術のその後や結合双生児として生まれてきた原因についてお伝えしました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。