福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の生き残り2名のその後は? | hanaブログ

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の生き残り2名のその後は?

ミステリー
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日本全国でクマの出没が話題になっていますね。

2023年11月に北海道南部の山で遺体で見つかった男子大学生がクマに襲われていたことを警察は明らかにしました。

死因の特定はされていないものの、道内で登山中にクマに襲われて亡くなったとされた場合は、53年前の1970年に北海道の中札内村で登山中の大学生3人がクマに襲われ亡くなって以来だということです。

その事件こそ福岡大ワンゲル部ヒグマ事件(福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件)です。

 

今回は、

 

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の概要

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件のその後は?

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の生き残りのその後は?

についてお伝えします。

 

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福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の概要

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件は1970年(昭和45年)7月に北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町静内高見)の日高山脈カムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件です。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の男子学生5名が夏休みに北海道の日高山脈に登山に向かいました。

A リーダー、20歳
B サブリーダー、22歳、生還者
C 19歳
D 19歳、生還者
E 18歳

 

7月25日にテントを張っていたところ、ヒグマが荷物をあさりだし5人は音を出して追い払いました。

7月26日早朝、再びヒグマが現れテントを倒します。

救助を求めBとEが下山し、同じく登山をしていた北海学園大学や鳥取大学などのグループに会ったので救助要請の伝言をして仲間のところへ戻ります。

しかし、夕方またヒグマ襲われ、Eが死亡。

この時、Cは恐怖とパニックで他のメンバーとはぐれてしまいます。

そして、27日早朝、下山する途中でヒグマはまた現れた。Aが襲われて死亡。

Cは、27日の8時ごろにヒグマに襲撃され死亡しました。

BDはなんとか下山し、無事生還しました。

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件のその後は?

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件はその後・・・・

救助隊はA・E、そしてはぐれてしまったCの遺体を発見します。

また、福岡大ワンゲル部を襲ったヒグマはヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺されました。

3人を殺害したヒグマは解剖されましたが、体内からヒトの肉片や持ち物などは確認されませんでした。

また、死亡した3人は八の沢カールで火葬にされました。

 

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の原因として以下のことが挙げられています。

  • ヒグマがあさった荷物を物音をさせるなどして取り返したこと
  • 最初にヒグマに遭遇した後すぐに下山しなかった
  • ヒグマに背を向けて逃げたこと
  • ヒグマに遭遇した時の対処法を事前にチェックしなかったこと

 

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の生き残りのその後は?

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件では生き残りが2名いましたが、その後2人はどうしているのでしょうか。

生還した2人は、「クマに襲われても、最初は物珍しさが先に立った」と証言しています。

九州では1950年代にクマの確実な生存情報が途絶え、野生ののクマはす絶滅したとされています

九州の山はそれぞれが分断されているため、広い面積を生息地とするクマが生きにくいことも関係がしているそうです。

クマの生息しない九州からの登山客だったこともあり、クマに対する知識が不足していたことはその後も指摘されています。

生き残りの二人はご存命であれば、現在、Bさんが75歳、Dさんが71歳。

2016年にNHKの番組でインタビューに答えられていたそうです。

 

かなりの恐怖体験と仲間を失った大きな事件でした。

まとめ

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件(福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ事件)の概要や生き残り2名のその後についてお伝えしました。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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