1982年(昭和57年)2月9日に起こった航空事故「羽田沖墜落事故」をご存知でしょうか?
日本航空のダグラス DC-8-61型機が羽田空港沖に墜落し、乗員乗客174人中24人が死亡し、149人が負傷した事故です。
事故原因は、機長が着陸進入中の低高度で操縦桿を押し、逆噴射装置を作動させたことであるとされています。
そんな羽田沖墜落事故の渦中の人物となった機長と同乗していた副操縦士のその後について調べてみました。
今回は、
についてお伝えします。
羽田沖墜落事故で救助にあたった医師のその後についての記事はこちら
羽田沖墜落事故の片桐機長はその後は?
羽田沖墜落事故の片桐機長はこの事故により、腰椎骨折、及び軽度の打撲などの怪我を負いました。
事故発生時、乗客に紛れて真っ先にボートで救出される機長の姿が報道され、厳しい批判を浴びました。
本来、事故発生時、片桐機長は乗客の救助を率先して行うよう義務づけられていますので・・・
また、事故原因として報告された「機長が操縦桿を押し、逆噴射装置を作動させたこと」についても片桐機長に統合失調症(当時は精神分裂病)であり、機長としての乗務を行えるような状態ではなかったと報告されました。
片桐機長は業務上過失致死罪により逮捕されましたが、精神鑑定により妄想性精神分裂病と診断され不起訴処分となりました。
片桐機長は東京都松沢病院に入院をしていましたが、その約1年後にJALを解雇されました。
1983年11月には片桐機長の実姉が手記を発売されています。
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羽田沖墜落事故の機長はその後、葉山で暮らしているという情報が2002年に文春で報じられました。
車の免許は再取得し、たまに出掛けたりするが、ほとんど家からです、 唯一の趣味だった釣りさえも行かず、妻が仕事をして、たまに2人でコンサートに出掛けたりしている。
という内容でしたが、現在は奥様とは離婚をしていて実姉が面倒をみているという情報もありましたが、はっきりとはわかっていません。
羽田沖墜落事故の片桐機長は事故当時35歳でした。
「訃報」は情報としてありませんでしたので、ご存命なら76歳くらいになります。
羽田沖墜落事故の副操縦士のその後は?
羽田沖墜落事故の石川副操縦士のその後についても調べました。
同乗しており、異常に気づき機長が押し込んだ操縦桿を引き「機長、やめてください!」と発した副操縦士です。
石川副操縦士はこの事故により、腰椎及び左肋骨骨折などの怪我を負いました。
しかし、事故発生時、最後まで現場に残り救助活動を続けました。
事故後も副操縦士として経験を積み、日本アジア航空で機長となりました。
JALのパイロットでは知らない方はいないほど、そして人格者だったそうです。
事故当時は33歳でしたので、現在は74歳くらい。
既にパイロットは引退をされていることと思います。
まとめ
羽田沖墜落事故の片桐機長、石川副操縦士のその後や現在についてお伝えしました。
羽田沖墜落事故から2022年で40年が経ちました。
2022年2月9日に行われた慰霊式では日本航空の社長が「事故の教訓・経験をいかしていく」と話されていました。
二度とこのような事故が起こらないことを祈るばかりです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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