1945年8月の終戦時、日本の敗戦を信じずアナタハン島を離れようとしなかった男性32人、女性1名がアナタハン島に残り原始的な生活を送り、たった一人の女性で会った比嘉和子の夫となる人物が次々と変死した「アナタハンの女王事件」。
桐野夏生さんの小説で木村多江さん主演で映画にもなった「東京島」のモチーフにされた事件です。
謎に包まれた事件に衝撃が走りましたが、アナタハン事件の中心人物である比嘉和子のその後についても気になったので調べてみました。
今回は、
についてお伝えします。
比嘉和子のその後は?死因や子孫はいる?
アナハタン島事件では比嘉和子の夫となる人物が次々と変死しました。
男たちの中で「元凶は和子」という雰囲気が強まり、自分の身に危険を感じた和子がアメリカ軍に投降し無事帰国します。
日本に帰国した比嘉和子はその後どうなったのでしょうか。
比嘉和子のその後
比嘉和子の死因は?
比嘉和子の子孫はいる?
比嘉和子の子孫はいません。
アナタハン島で男性32名との共同生活を送り、4人の夫がいましたがアナハタン島でも妊娠をしていなかったようです。
アナタハン島に取り残される前の夫・比嘉正一との間に妊娠をしていたようですが、1944年の米軍機の空襲のショックで流産してしまいました。
それが原因で妊娠できない体になってしまったのだと言われています。
アナタハンの生存者は?
アナタハン島に取り残されたのは男性32名と比嘉和子1名。
比嘉和子が1950年6月アメリカ軍に投降しアナタハン島から救出されます。
その1年後の1951年6月に残された19名と先に救出されていた1名が救出されました。
男は32名いたので、12名は行方不明や変死していたことになります。
比嘉和子はアナタハン島から帰国後大きな注目を集め、アナタハン島での事件の真相について取材されています。
しかし、アナタハン島から帰った他の生存者は事件のことを語ることはなかったようで、現在、知られているアナタハン事件の真相は比嘉和子が話したことを元に伝えられています。
アナタハン島では比嘉和子の性による支配がされていたとされていますが、和子もそのあたりは詳しく取材に対しても答えていません。
それぞれ帰国して日本で平和に暮らしているので名前を出して話すことはしなかったそうです。
アナタハン島での出来事は謎に包まれ、世間の関心をかき立てることになったようです。
まとめ
アナタハンの女王事件の概要と事件の中心人物となった比嘉和子のその後、死因や子孫にアナタハン島からの生存者について調べてみました。
2022年6月15日(水)のワールド極限ミステリーでも宮地真緒さん出演で再現VTRが放送されるそうです。
どのように再現されるのか楽しみです。
最後までお読みいただきありがとうございました。