ちむどんどん比嘉家4兄妹の年齢と時代背景・年表まとめ | hanaブログ

ちむどんどん比嘉家4兄妹の年齢と時代背景・年表まとめ

ちむどんどん
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NHK朝の連続ドラマ小説「ちむどんどん」。

ヒロイン・比嘉暢子は4兄妹です。

この記事では「ちむどんどん」で描かれる比嘉家4兄弟の年齢と時代背景・年表をまとめます。

この記事はドラマの進展により追記修正していきます。

物語の登場人物の生年月日等は公表されていませんので考察を含みます。

 

ちむどんどんの沖縄出身者のキャストの記事はこちら

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ちむどんどんの時代設定

2022年は沖縄本土復帰50年の年にあたります。

「ちむどんどん」は沖縄本土復帰50年を記念した作品です。

ヒロイン・比嘉暢子含めた比嘉家4兄妹の本土復帰からの歩みを描く50年の物語となっています。

初回の放送は昭和39年(1964年)でしたが、縄本土復帰が1972年~2022年の現代までが「ちむどんどん」では色濃く描かれると思います。

ヒロイン・比嘉暢子は2022年は68歳です。

18歳~68歳の年齢のヒロインを黒島結菜さんが演じられることになります。

ちむどんどんの比嘉家4兄弟の年齢と時代背景・年表まとめ

ちむどんどんの比嘉家4兄弟の年齢と物語と関係する時代背景を年表でまとめています。

物語の進行に合わせて追記修正していきます。

 

昭和16年(1941年)

父・賢三は本土に出稼ぎに行き、フォンターナのオーナー大城(賢三の叔母)に出会う。

三線が得意だった賢三は鶴見で沖縄二世である平良三郎に教える。

 

昭和18年(1943年)

沖縄民謡歌手を目指していた賢三は那覇へ戻ったが、歌手にはなれず母・優子の実家が営む食堂(名物は沖縄そば)で住み込みで働いていた。

戦争が始まり、賢三は招集され中国に出征した。

 

昭和19年(1944年)

10・10空襲

アメリカ海軍機動部隊が行った大規模な空襲で、那覇市市街地の大半が焼失し、民間人にも大きな被害がでた。沖縄大空襲とも呼ばれる。

母・優子の家族は10・10空襲により大きな被害を受け、優子と弟と家族とはぐれてしまう。

 

昭和20年(1945年)

終戦

8月15日正午からラジオで放送された玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された。

優子は弟と一緒に捕虜収容所で終戦を迎える。(優子の弟は収容所は亡くなる)

終戦後、賢三は日本に戻ってきていたが、沖縄が日本ではなくなっていたためすぐに沖縄に戻ることができなかった。

妹と空襲で行き別れた大城房子(賢三の叔母)は闇市で商売を始め、賢三に再会する。

沖縄に帰れなかった賢三は大城の商売を手伝う。

大城は賢三に名入りの包丁をプレゼントして、ずっと一緒に商売をやっていこうと約束する。

 

昭和21年(1946年)

賢三は家族の消息を確かめるために沖縄に戻る。

沖縄の収容所へ家族を探しにきた賢三は弟も亡くなってしまい1人ぼっちになって生きる気力をなくしている優子と再会する。

賢三の故郷であるやんばるに戻り2人で生活を始める。(賢三の家族はみつからなかった)

賢三と優子は結婚する。

賢三は大城との約束した「一緒に商売をする」という約束を守れないこと、優子と結婚したこと、やんばるで生活していくことを大城に手紙で伝える。

 

昭和24年(1949年)

長男・比嘉賢秀が生まれる。

賢秀の名前は父・賢秀の賢と優子の亡くなった弟・秀夫の秀をとったものと思われます。

 

昭和25年(1950年)

長女・比嘉良子が生まれる。

 

昭和28年(1953年)

ヒロイン次女・比嘉暢子が生まれる。

 

昭和30年(1955年)

三女・比嘉歌子が生まれる。

 

昭和39年(1964年)

  • 比嘉賢秀 15歳(中学3年生)
  • 比嘉良子 14歳(中学2年生)
  • 比嘉暢子 11歳(小学5年生)
  • 比嘉歌子 9歳(小学3年生)

東京からきた転校生・青柳和彦と出会う。

西洋料理を食べに行く。

父・賢三が心臓発作により死去。

多額の借金を抱えた比嘉家は暢子を東京にいる賢三の叔母に面倒をみてもらうことにしたが、出発当日、東京行きを辞める。

 

昭和46年(1971年) ※子役から俳優へバトンタッチ

沖縄返還協定が結ばれ、沖縄が日本に返還されることが決まる。(1971年6月17日調印)

 

変動相場制

1971年8月28日に円の変動相場制に移行。1ドル=360円の固定相場が終わる

 

  • 比嘉賢秀 22歳
  • 比嘉良子 21歳 (小学校の先生)
  • 比嘉暢子 18歳 (高校3年生)
  • 比嘉歌子 16歳 (高校1年生)

暢子は産業まつりに参加する料理大会に助っ人として力を貸し、東京に行って料理人になるという夢を見つける。

歌子が音楽教師・下地響子に歌の才能をみつけられる。

賢秀が我那覇にお金をだまし取られ、暢子の東京行きに暗雲が立ち込める。

暢子が夢を諦めかけた時に東京でプロボクサーになった賢秀がお金を送ってきて無事、暢子は上京できることになる。

 

昭和47年(1972年)

沖縄県本土復帰

1972年5月15日沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本国に返還された

 

  • 比嘉賢秀 23歳
  • 比嘉良子 22歳
  • 比嘉暢子 19歳
  • 比嘉歌子 17歳 (高校2年生)

ヒロイン・暢子が高校を卒業して上京する。

暢子が比嘉家を発つ時、母・優子から父・賢三がお世話になった人(アッラフォンターナの大城)にもらった宝物の包丁を渡される。

暢子は兄・賢秀を頼ってボクシングジムへ行くが賢秀は借金をしたままボクシングジムからいなくなっていた。

沖縄県県人会長に助けられ、沖縄料理店「あまゆ」で下宿をし、銀座「アッラ・フォンターナ」で働きはじめる。

姉・良子が石川博夫と結婚。

 

昭和48年(1973年)

  • 比嘉賢秀 24歳
  • 石川良子 23歳
  • 比嘉暢子 20歳
  • 比嘉歌子 18歳 (高校3年生)

姉・良子、第一子・晴海を出産。結婚後は教師の仕事を辞める。

暢子が「アッラ・フォンターナ」を一時的にクビになり、東洋新聞で雑用のアルバイトとして働き、青柳和彦(宮沢氷魚)と再会する。

賢秀、猪野養豚場で働く。

 

昭和49年(1974年)

  • 比嘉賢秀 25歳
  • 石川良子 24歳
  • 比嘉暢子 21歳
  • 比嘉歌子 19歳

長男・賢秀は猪野養豚場の給料を前借りしてまたもトンズラし、我那覇に再開し紅茶豆腐を販売するがまたも騙され、猪野養豚場に戻る。

末っ子・歌子が高校を卒業し、普久原運輸の事務員として働き、最初のお給料で比嘉家に電話回線を引く。

暢子は「アッラ・フォンターナ」の大城オーナーに言われおでん屋台の経営立て直しを命じられ見事成功。

 

昭和51年(1976年)

  • 比嘉賢秀 27歳
  • 石川良子 26歳
  • 比嘉暢子 23歳
  • 比嘉歌子 21歳

歌子が小さい頃から続いている発熱のせいで仕事中に倒れる。仕事も休みがちになり退職。

母・優子と歌子が検査をうけるために上京。結果異常はみられなかった。

長女・良子の娘・晴海が3歳になり教師復帰したいと夫・博夫に相談する。

母・優子はフォンターナのオーナー大城に子どもの頃の暢子を引き取ると言ってくれた時に断ったこと、賢三が大城と一緒に商売をする約束だったのに裏切ったことを謝り和解。

 

昭和52年(1977年)

  • 比嘉賢秀 28歳
  • 石川良子 27歳
  • 比嘉暢子 24歳
  • 比嘉歌子 22歳

二ツ橋シェフが骨折し、暢子がシェフ代行を任される。

姉・良子は博夫の家族から仕事復帰を反対されるも娘の晴海を連れて比嘉家に帰って教師に復帰する。(博夫をは別居)

 

昭和53年(1978年)

  • 比嘉賢秀 29歳
  • 石川良子 28歳
  • 比嘉暢子 25歳
  • 比嘉歌子 23歳

賢秀が養豚場に訪問販売に来た多田直美と青森出身の水国和歌子に一目惚れしてすぐに失恋する。

沖縄角力相撲大会で智が3連覇し、暢子にプロポーズするが断られる。

和彦と愛の結婚話が進む中、暢子は和彦のことが好きだったことに気づき、愛とお別れする。

暢子は自分の店を持つという新しい夢をみつける。

母・優子に共同売店の前田善一との再婚の話がでて、賢秀と暢子はウークイ(沖縄のお盆)に合わせてやんばるに帰る。

暢子が和彦に逆プロポーズ!お互いの思いが通じ合う。

 

昭和54年(1979年)

  • 比嘉賢秀 30歳
  • 石川良子 29歳
  • 青柳暢子 26歳
  • 比嘉歌子 24歳

和彦と暢子の結婚式がフォンターナで行われ、暢子は沖縄料理を振る舞い美味しそうに食べている人たちをみて、「沖縄料理のお店を開く」と宣言する。

和彦が東洋新聞を辞める。

暢子が妊娠する。

暢子は沖縄料理店「ちむどんどん」を開店することを決め、フォンターナで一緒に働いていた矢作を雇い、妹・歌子もお店を手伝いにやんばるからでてくる。

「ちむどんどん」は一度オープンするものの経営困難に陥り一時お店を閉める。

「ちむどんどん」休業中に矢作と暢子は看板メニュー・沖縄そばの味を見直す。

兄・賢秀が働く養豚場の豚を使い看板メニューの沖縄そばを作りリニューアルオープンし、知らないお客さんでお店を満席するという目標を達成する。

 

昭和55年(1980年)

  • 比嘉賢秀 31歳
  • 石川良子 30歳
  • 青柳暢子 27歳
  • 比嘉歌子 25歳

出産を控えた暢子に会いに、やんばるから母・優子と姉・良子が上京する。

兄・賢秀は働いている養豚場の娘・清恵にプロポーズし結婚する。

暢子は男の子を出産し、青柳健彦と名付けられる。

 

 

昭和57年(1982年)

  • 比嘉賢秀 33歳
  • 石川良子 32歳
  • 青柳暢子 29歳
  • 比嘉歌子 27歳

暢子が上京して10年経つ。

暢子の息子・健彦が2歳になる。

「ちむどんどん」を手伝いに東京に来ていた歌子は沖縄やんばるに帰る。

 

昭和59年(1984年)

  • 比嘉賢秀 35歳
  • 石川嘉子 33歳
  • 青柳暢子 31歳
  • 比嘉歌子 29歳

賢秀の妻・清恵妊娠中。

暢子の息子・健彦は4歳。

幼なじみの砂川智は砂川フードの拠点をやんばるに移す。

比嘉家の借金完済。

青柳和彦、暢子、健彦は沖縄やんばるに里帰りをし、一家揃ってやんばるに移住することを決める。

智と歌子が結婚する。

暢子はやんばるでお店をオープン「やんばる ちむどんどん」をオープンさせる。

 

まとめ

物語の進展に合わせて追記修正を随時行っています。

また公表されていない情報もあるため考察を含みます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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※本ページの情報は2022年9月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

 

 

 

 

 

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