1996年、アトランタ夏季オリンピックに伴い完成したジョージア州にあるセンテニアル・オリンピック公園で発生したセンテニアル・オリンピック公園爆破事件。
この爆発により2人が死亡し、111人が負傷しました。
この事件では無実の警備員であるリチャード・ジュエルが容疑をかけられてしまいました。
最終的には容疑ははれて真犯人がみつかるのですが、メディアの報道により世界中に容疑者として批判を浴びることになってしまいました。
今回は、
についてお伝えします。
リチャード・ジュエルの事件の真相とその後
リチャード・ジュエルが容疑者として疑われた事件の真相とその後をお伝えします。
事件の真相
1996年7月27日、リチャード・ジュエルはアトランタ五輪の会場近くのセンテニアル・オリンピック公園で行われていたコンサートの警備をしていました。
その際、リチャード・ジュエルは爆発物を発見し通報したため、観客を避難させることができ被害は最小限に抑えることができたもののこの爆破事件で2人が死亡し、111人が負傷しました。
爆発物の第一発見者であったリチャード・ジュエルは英雄として持ち上げられましたが、数日後「FBIがリチャード・ジュエルが爆発を仕掛けた可能性を疑っている」と地元紙で報じられました。
この報道は世界中に広まり、リチャード・ジュエルの顔は世間にさらされ、自宅の家宅捜査や家族・知人に執拗な聞き込みをするなど容疑者とされ捜査されることになり、リチャード・ジュエルの日常生活は大きく変わってしまいました。
しかし、リチャード・ジュエルが爆破事件に関与している証拠は発見されず、1996年10月FBIから正式に犯人でないとの声明が出されました。
リチャード・ジュエルのその後
事件後、リチャード・ジュエルはジョージア州ベンダーグラスで警察官として、メリウェザー郡では郡保安官補を務めるなど、法執行官の職を転々としました。
リチャード・ジュエルは糖尿病など健康に問題があり、44歳の時に自宅で死去。
死因は肥満合併症を伴う重度の心臓病でした。
真犯人・エリック・ドルフのその後は?
事件の真犯人はエリック・ドルフという人物です。
エリック・ドルフは犯行後に声明を発表していました。
動機は妊娠中絶、同性愛者に対しての怒りとされており、翌年には中絶クリニックやレズビアン・バーとして有名な場所を爆破する事件も起こしています
エリック・ドルフは指名手配され、2003年5月、ルドルフはノースカロライナ州マーフィーで逮捕されました。
その後、終身刑が確定しました。
女性記者・キャシー・スクラッグのその後は?
リチャード・ジュエルが容疑者としてFBIに疑われていると最初に報じのがアトランタ・ジャーナルの女性記者キャシー・スクラッグでした。
リチャード・ジュエルはアトランタ・ジャーナルを含む報道機関を名誉棄損で訴えています。
アトランタ・ジャーナルは「FBI『英雄』警備員が爆弾を仕掛けた可能性を疑う」という見出しで報じた記事が旋風の始まりであったとリチャード・ジュエルは述べています。
この女性記者・キャシー・スクラッグスは2001年43歳で急性モルヒネ中毒によってなくなられています。
事故なのか自殺なのかはわかっていません。
まとめ
英雄から容疑者として名誉を棄損されたリチャード・ジュエルの事件の真相やその後、真犯人や女性記者のその後についてお伝えしました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。